たくさんのお客様に愛され、励まされ、そして支えられて、明治、大正、昭和、平成の時代へと乗り越えてまいりました。

創業111周年記念  創業115周年記念

創業130周年ANNIVERSARY

おかげさまで柴田音吉洋服店は創業130周年を迎えさせていただきました。
本日こうした形でご挨拶出来ますのでも、ひとえに皆様方のいつに変わらぬお心厚いご指導・ご支援の賜物と謹んで厚く御礼申し上げます。 

会社の歴史を開いてくれた初代、今日の土台を築いた2代目、それを国際的に飛躍・発展させた3・4代目、先人への限りない尊敬と感謝の気持ちを持って、その教えを順守し、お取引先の期待に少しでもお応えできるよう努力して参りたいと存じております。

たくさんのお客様に愛され、励まされ、そして支えられて、明治、大正、昭和、平成の時代へと乗り越えて参りました。先代から引き継いできました洋服仕立ての技術を貫き、どんな時代にあっても揺るがないモノづくりの精神、そして、常にお客様に最上の品質とエレガンスを提供する心構えがあったからこそと、信じております。

明治元年神戸に、日本人初のテーラーとして近代洋服ー英国調スーツの灯りをともした当店は、そのパイオニアとしての使命を心に刻み、歴史と伝統を受け継ぎ、次の150年、さらには200年を目指して参りたいと思っています。

今後とも当社並び関連会社に、より一層のご愛顧を頂ますよう心からお願い申し上げます。

平成25年3月
(株)柴田音吉商店
代表取締役 柴田音吉

創業明治16年(1883) 柴田5代の歩み

創業者・初代 柴田音吉(嘉永6年~大正12年)

近代洋服普及の立役者

伊藤博文公とともに、近代洋服普及の立役者。10歳の頃から京都で裁縫の勉強を始めた。17歳の頃(明治2年)、神戸の居留地で近代洋服のテーラー(英国調スーツ)を営んでいたイギリス人カペル氏に弟子入りし、一番弟子となった。
明治16年(31歳)、念願かなって日本人で最初のテーラーとして独立、開業。店を構え、極上の服地をたっぷり使ったていねいな仕立てと、ゆったりした着ごこちの良さで評判を呼んだ。〝ゆったりとした着ごこちの良さ〟は柴田の洋服のバックボーンとして今も守り継がれている。
初代県知事を務めた伊藤博文公も柴田の洋服を愛用、○金の商標の付いた洋服は当時の著名人の間でステイタスとしてもてはやされるに至った。
初代音吉は、今でいう所の完全主義者で、本場ロンドン・サビルロウに裁断士を留学させている。名人肌で逸話も多く、神戸はじめ物語には、明治天皇のお召服をただ拝謁するだけで立派に仕立て上げたというエピソードが伝えられている。

2代目 柴田友蔵(明治2年~大正9年)

神戸マッチ商の牽引者

明治23年、淡路島の豪農・高谷家の出身、養子に入る。
初代のもとでテーラー業を勉強する傍ら、北海道開拓に着手。神戸においてはマッチ商で右に出る者がいなかった。明治23年~34年の間に北海林業(株)を設立し、10数か所の製材所を全国に有し、柴田家の繁栄に大きく貢献した。神戸市会議員も務める。
友蔵は、長男・享一に林業をまかせ、神戸の大倉山公園に名が残る長岡の大倉喜八郎の孫娘と結婚。大倉家とは、林業と絹織物でつながりがあったようだ。オーナーとして洋服店の経営にたずさわり、テーラーの実務をまかせられる支配人として、毛織物の知識があってヨーロッパに人脈を持つ畠山忠の才能を見込んで、婿養子にした。



3代目 柴田音吉(明治19年~昭和9年)

輸入毛織物の先達人

家系図にみられる通り、初代音吉の孫娘千代と結婚して柴田家の人となり、初代の没後(大正12年)その名跡を継ぐ。
当時としては珍しい東京外国語学校(後の東京外大)フランス語科出身で、毛織物関係として政府派遣第1号としてフランスに留学。語学力に優れ、洗練された国際人で内外に人脈を広げ、入店後も数回にわたって渡欧し、初代が晩年に手がけていた服地の輸入・販売を更に本格化して軌道に乗せている。特に大正4年、フランスの毛織物商社ドーメル社との独占契約に成功、同社の製品を一手に引き受け全国に販路を広げた。ドーメル社とのパイプづくりこそ後代への価値ある贈り物、3代目の大いなる遺産で有る。
趣味の面でも国際人らしく、神戸の日本人では初めて自分でヨットを輸入してクルージングを楽しんだ。
また、選ばれて神戸日仏協会副会長、会長を歴任、日仏親善に力を尽くし、その顕著な功績を讃えてフランス政府から勲章を贈られた他、大正4年にはパラグアイ共和国の名誉領事に任命されるなど、国際人として大いに面目を施している。

4代目 柴田高明(大正3年~平成18年)

輸入プレタ・洋品の先駆者

旧制・神戸大学在学中に社業を継ぐ。
先代からの事業をさらに整備拡充、特に先の大戦後、事業の復興・再建に力量を発揮、昭和22年、(株)柴田音吉商店(注文洋服)、同24年、(株)柴田商事(ファッション製品の輸入・卸)、同28年、(株)柴音商店(輸入服地卸)を相次いで設立。
この間、戦争で中断されていたドーメル社(英・仏)との取引再開を果たし、ドーメル・ジャパンを組織して代理店業務の万全を期し、さらに昭和43年、業界初の合弁会社柴田ブリティッシュ・テキスタイルを発足させ、ドーメル社のパートナーとしてドーメル・ブランドのシェアの拡大に努め、1980年代には数多い輸入ブランドの中でドーメル製品が質・量ともに第1位の実績を維持するなど画期的な成功を収めた。
その当時、ドーメル社を世界最大の毛織物商社に発展させたことは、4代目の大いなる功績として大方のひとしく認めるところとなっている。
財経部門を総括し、5代目社長にアドバイスを続ける一方、より完成度の高い洋服及び服地づくりを目指して挑戦する心を忘れぬようスタッフを激励した。

5代目 柴田音吉

輸入服地プロデュースの第一人者

五代目柴田音吉三代・柴田音吉を襲名した啓嗣は甲南BOYで、大学時代はテニスプレイヤーとして全国に名を馳せたスポーツマンでもあった。根っからのファッション好きで、5代目を継承後は、4代目が築いた柴田商事(株)を核に、柴田グループ9社、従業員150人の企業へと成長させた。
紳士服地の企画、プロデュースに才能を発揮し、ドーメルを軸に、エリザベス女王御用達「JJミニス」はじめ、「クリッツァ」、「ジバンシィ」などの有名ブランド服地の展開に乗り出す。さらに、有名デパートと取り組み、業界では草分けとされる『スタイル・オーダー』を提案、話題となった。
一方、洋服店では、1960年代に、夏物の超軽量「クール・スーツ」をいち早く開発し、日本の洋服業界に一石を投じた。この研究熱心な取り組みが、今日完成した「ライト‐フィット」テーラードジャケットへとつながっている。商標登録(平成23年)、実用新案(平成24年)が認められ、新たな話題を提供している。
5代目が手掛けた積極的な事業展開だが、バブル崩壊後、阪神淡路大震災が追い打ちをかけるように、大きな試練を課した。本社ビルの倒壊、日本経済の減速による大口取引先の倒産などで、最大の危機を迎えることになる。5代目は、この難局を乗り切るべく、企業経営の立て直しに奔走する。4代目の「城と内堀だけ残ったらいい、外堀はなくなってもいい」という教えを胸に、テキスタイル事業を撤退。洋服の伝統と歴史を刻んできた城であるテーラー業を守るべく、創業精神に戻っての再出発を図った。それが完全予約制の「ビスポーク・スタイル」であり、テーラーの原点に戻ったビジネスモデルである。最上の品質とエレガンスを提供すべく、ゆったりした時間の中で、顧客が心行くまで洋服を注文し、仕立てる、顧客にとっての至福のテーラーを目指している。時代に即したホームページの製作、充実を図るとともに、130年の歴史を全国へ発信し続けている。
5代目は2人の息子に恵まれた。長男・英智は甲南大学卒業後、米国・ベントレー大学でMBAを取得し、現在はエレクトロニクスの総合商社で働いている。次男の悠貴は同じく甲南大学卒業後、社交ダンスの世界でプロダンサーとして活躍している。

5代にわたる家訓

「歴史と伝統を重んじ、起業は存続することこそが最優先である」
そのためには輸入という平和産業にたずさわっている企業の宿命として何時いかなる事態にも対応できる柔軟性と“スモール・イズ・ビューティフル”のポリシーを持ったグループでありたいと願っています。
「創業時の家業である柴田音吉洋服店を永久に存続させ、その時代に沿ったサイド・ビジネスを手掛けること」
「スポーツを愛し、ファッションセンスを磨き、真の国際人となり、企業としてまず何よりも社会に奉仕することが大切である」

創業150周年に向けた事業計画

1. 「ライト-フィット」テーラード・ジャケットの新規プロジェクトの推進
2. 不動産事業のニュー・プランの遂行


 

 

創業115周年ANNIVERSARY

HAND MADE

柴田音吉洋服店・神戸本店
柴田音吉洋服店・神戸本店
柴田音吉洋服店・東京店
柴田音吉洋服店・東京店(千代田区・帝国ホテル内)

STYLE ORDER


 

 

創業111周年ANNIVERSARY

「総合多角毛織物商社」を目指して躍進

創業当時の神戸本店(店前に全スタッフが並ぶ)
創業当時の神戸本店(店前に全スタッフが並ぶ)
創業当時の横浜支店
創業当時の横浜支店

 

柴田音吉洋服店 神戸本店(神戸市中央区元町通4丁目)

日本人では最初の注文洋服商として明治16年、神戸・元町で創業。初代音吉は、明治天皇にただ拝謁しただけで立派にお召し服を仕立て上げたというエピソードの持ち主で、伊藤博文公に特別ひいきにされたと伝えられている。
神戸を中心に政財界のVIPを数多くカスタマーに持ち、着やすさはもちろん、職業、地位、人格にふさわしい風格あふれる洋服づくりで高い評価を得ている。
手づくりの正統を守り、英国調を主流にしているが、顧客の求めに応じてトップファッションのカットも自在にこなして支持を得ている。

第3ビル 西日本営業本部・大阪支社
第Ⅲビル 西日本営業本部・大阪支社(大阪市中央区高麗橋)

西日本における輸入紳士服地販売の本拠地として、有名デパート、一流テーラー、アパレルメーカー、イージーオーダー・メーカーなどを対象に、遠くは沖縄に至るまで、西日本全域をくまなくカバーしている。
同様に、輸入婦人服地(アパレルメーカー、服地卸商社対象)、輸入紳士・婦人プレタポルテ&洋品の販売拠点として販路は広く全国に及んでいる。併せて、輸入、財経、総務などの本社機能を備え、グループ全体の総括業務を果たしている。


第5ビル 輸入製品の保管倉庫
第Ⅴビル 輸入製品の保管倉庫(神戸市中央区元町通3丁目)

 

戦後の会社再建から大阪移転するまでの本社事務所。現在、輸入製品の保管施設として万全の設備を整えている。


第7ビル 東日本営業本部・東京支社
第Ⅶビル 東日本営業本部・東京支社(東京都中央区八丁堀)

 

東日本における輸入紳士服地販売の本拠地として、有名デパート、一流テーラー、大型ブティック、さらにはアパレルメーカー、イージーオーダー・メーカーなどを対象にセールス活動を行ない、関東一円はもとより、東北、北海道に至る広い地域をテリトリーとしてフォローしている。


ドーメル・オブ・ロンドン
東京・帝国ホテルのフラグシップ
東京・帝国ホテルのフラッグショップ

ドーメル社、柴田商事が多種多彩な素材の供給に万全を期しメルボ紳士服の高度な技術とシステムをジョイント、オーダーメイド紳士服の新しいビジネス展開として注目を集めている。直営店に加えて、デパート、テーラー、ブティックなどとタイアップした高級志向のコーナーを持ち、将来的には全国40店舗でのネットワークを目標としている。


海外のパートナー

ドーメル社・ロンドン
ドーメル社・ロンドン

柴田グループでは、大正4年(1915)以来の緊密なパートナーシップを誇るドーメル社を筆頭に、ペロ社(ドイツ)、ジルマール社(イタリー)その他ヨーロッパの有名メーカーの製品を直接輸入している。
世界最大の毛織物商社「ドーメル」は、1842年の創業以来150余年、ロンドン・パリを拠点として常に高級服地の主流を歩み、数多くのペストセラー、ロングセラーを世に送って「世界の服地ドーメル」の名声をほしいままにしている。
品質、デザインなどすべて自社で企画。現在、世界の有名テーラー、オートクチュール、デパート、アパレルメーカーなどを対象に年間6,000種(200万メーター)に及ぶ第一級のコレクションを発表している。